住吉は古代では「すみのえ」と訓み、万葉集にも登場し歴史は古いです。
現在、住吉・住之江・墨江は、別の地域名となっていますが元は住吉の読みの「すみのえ」の異表記だったそうです。
古代には、住吉津(すみのえつ)とされらを護る住吉大社が栄えました。中世は住吉大社宮司の津守氏の館の住之江殿(正印殿)に南朝の後村上天皇の御座所(皇宮)が約10年間置かれ(住吉行宮)南朝の拠点となった。中世期以降は住吉群東部の平野郷が栄え、住吉津の面影が消えた沿岸部では代わって新田開発が盛んになった。
近代にはいると明治12年に大阪府で郡区町村編制法が施行され、安立町に住吉群役所が置かれました。
しかし、郡自体も明治29年に東成郡に統合され住吉群は消滅しました。
住吉区は1925年に大阪市の第二次市域拡張に伴って東成郡全域が大阪市に編入された際に旧住吉群全域と旧東成郡天王寺村の区域で誕生しました。
大阪市編入の際には当初は名称を「阿倍野区」にする案が出されたが最終的に住吉区の名称が採用されました。
その後、1943年の分増区により当時の阿倍野区・東住吉区に当たる区域を分離しました。
1943年分増区の際に当時の住吉区役所は現、阿倍野区が「住吉区」の区名を継承し現在の住吉区の区域を「住之江区」とする案が出されたが住民の反対によりこの案は撤回され住吉大社周辺を含む当区の区域が住吉区の区名を継承しました。
また分増区の際、隣接する西成区との間で区の境界の見直しが行われましたが一部区域が西成区に分離編入されると同時に当時西成区に属していた粉浜地区が住吉区に編入されました。
1974年には住吉区と住之江区に分区され、従来の区について細井川以北は南海本線・細江川以南は阪堺線を境に東西に分け西部を住之江区としました。住之江区の分区により住吉公園や安立、浜口などは住之江区に属することになりました。
現在の住吉区の人口は約15.2万人となりその中で65歳以上の高齢者が約4.2万人となり全人口の26%を占めています。世帯数では一般世帯が約7.2万世帯、単身世帯が約3万世帯となります。
大阪市住吉区は上町台地の南、大阪市最南端に位置しており6本の鉄道線やあびこ筋・あべの筋2本の主要国道が大阪市都市部へ直結しています。アクセスが良好なことから公営住宅や高層マンションが数多く建立され、ベッドタウンとして機能している都市です。
宅地開発が進められ、区の大半は住宅地として利用されています。
宅地開発が進み、ベッドタウンとして需要が高い大阪市住吉区ではファミリー層のお客様から不用品回収のご依頼。ご相談を数多く頂いております。
転勤の際の巨住地としても人気なため引越しで家財処分や買い替えなどで不用品が出るシチュエーションが他の地域に比べて多いと言えそうです。
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